MENU
■御祭神
『日本書紀』景行天皇40年7月16日条によると、日本武尊の東征にあたってその従者として吉備武彦と大伴武日連が付けられたという。
■由緒
遥か昔御祭神がこの地に参られ人々に害をなす大蛇を払い、平定しました。
その由緒によりこの地が“蛇原”と呼ばれるようになり、現在の“部原”となったと言われております。
御祭神に感謝しご功績を讃え祠を建てましたその祠はお参りすると怪我や病気治る“霊場(れいじょう)”として噂が広がり、近隣はもとより遠方からも多くの方がお参りに来ていたそうです。
時は流れ今から1200年以上前の延暦元年(782年)にその祠のある場所に社殿が建てられたのが瀧口神社の始まりであると言われております。
■勝浦と瀧口神社
この近隣の7つの村の総鎮守であり古くは里見氏の祈願所として、佐馬守より刀を賜りまた江戸時代の植村土佐守以降、勝浦藩城主より年に2度正月と例祭の日に供進(きょうしん)がありました。
供進の際は7つの村から名主さんも裃(かみしも)を着てかばん持ちを従えてその列に参列されていたそうで、その時の様子はそれはたいそう荘厳であったと文献に載っております。
また、瀧口の大神様のご活躍を謡われた琵琶曲があったり市内には瀧口の大神様のご功績によりついた地名が各所にあるなど歴史のある神社です。
■御神徳
瀧口神社は古くから「神威赫杓―シンイカクシャク―」と表記され大神様のお力が赤々と燃えるように光り輝いていると言われてきました。
大神様の様々な功績により現在伝わるご利益・ご神徳も多岐にわたります。
海の神様としての信仰海上安全・大漁満足武家の神様としての信仰武運長久・必勝祈願霊場としての信仰病気平癒・開運招福火伏せの神様としての信仰火難除け
■境内社
木花之佐久夜毘売命は 天孫瓊々杵尊の皇后 ご懐妊の際 火の中で御出産され 無事3人の皇子を生まれたという 故事にちなみ 家庭円満・安産・子安の守護神 としての信仰があります。
六十六度登山をされた碑があり 地元の方の信仰が 篤い神社です 。
月夜見神社(縁結び神社) 月夜見命 月夜見命は穀物の起源として語られ、海の潮の満ち引き滄海原(アヲウナハラ) の潮の八百重(シホノヤオヘ)を 支配している神です。
神名の「月を読む」とは 「暦を読む」の意として 農耕や漁業の神様として 信仰があります。
この地域ではいつの時代からか 縁結びの神様としての 信仰も厚く 地元の人からは 「縁結び神社」との愛称で 呼ばれています。
八坂神社 須佐之男命 海原を統治する神 神名の「スサ」は 「荒れすさぶ」の意として 嵐の神 暴風雨の神とされ 荒神という性格から 災難や病難の除去の信仰や 水難除去や海難除去の神様として 信仰があります 。
同じ勝浦市内にある 新館区に鎮座する八坂神社の本宮 海幸八幡神社(カイコウ様) 誉田別命 八幡神は清和源氏 桓武平氏を始めとする 多くの武家に広く 信仰され 、武家の守護神 として有名であるが 八幡は多くの大漁旗が立てられた様を 表す説もあり、もとは宗像氏ら海人集団の 祭る神でした。
海幸八幡神社は 地元では 「カイコウ様」 の呼び名で親しまれ、大漁満足や 海上安全の神様として 信仰があります。
同じ勝浦市内にある 沢倉区に鎮座する八幡神社の本宮です。
■サーフィン絵馬
眼前の海は、パワーのある波が生まれる日本有数のサーフスポットで、それにちなみ、運気の波に乗っていただけるよう願いを込められたサーフボード型の絵馬。
■爆釣御守り
眼前の海は、砂浜からヒラメが釣れる場所としても有名。
ただヒラメを釣りあげるのは難しいらしく1匹も釣れない人が多くいるそうで、1人でも多くの方に釣っていただきたいと願いが込められた御守。
■切り絵の御朱印
夏詣期間限定、市内の遠見岬神社とのコラボの切り絵御朱印。2社から御朱印を受けて2つを並べると真ん中に「結」の文字が
■ご祈願受付時間
9:00~17:00 (通年)
■一般祈願
ご祈願料 5000円~お志
■ご祈願料 10000円~お志
■通信祈祷について
ご遠方や、お身体が不自由などの理由で直接お参りできない方のために、通信での御祈祷を承っております。
詳しくはお電話にてお問い合わせください。
■例祭
・7月第一週土曜日 神輿の渡御
■1月1日
歳旦祭
■1月13日
明神講
■3月上旬
かつうらビッグひな祭り
■旧暦9月30日
神の御発ち